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ブハラ
2008年10月 9日(木) 09:00 JST
ブハラのみどころ
ブハラ歴史地区として1993年ユネスコ世界文化遺産に登録されています。
ブハラは、タジク人が約40%住んでおり、またユダヤ人も住んでいる多民族の街です。
街の中心地には池があり、ブハラ市民の憩いの場になっています。
池の周りはレストランに囲まれて、夜遅くまで賑わっています。
こじんまりとした街で、メドレセ(イスラム神学校)やミナレットが多く建ち並んでいます。
新市街と旧市街に分かれ、遺跡などは旧市街にあります。
「聖なるブハラ」と呼ばれるこの街は、かつてイスラムの文化的中心地として栄えました。
ブハラの観光地 -BUKHARA-
ラビハウズ Labi-Hauz
| ハウズとは池という意味で、ブハラ市民の憩いの場となっています。 ラビハウズは、ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ、3つのうち最古のクカンダシュ・メドレセ、全寮制の学校ナディール・ディヴァンベキ・ハナカの3つの建築群に囲まれています。 かつてこの周辺はユダヤ人の村で、このラビハウズの場所にはユダヤ人女性が 住んでいました。 当時の大臣ナディール・ディヴァンベギはこの土地を売って欲しかったのですが断られました。どうしてもこの土地が欲しかったナディール・ディヴァンベギは、女性の家に穴を掘って 水をいれ、運河を造りました。 運河の水を家に流し始め、家は倒れ、この土地を手放さなければならなくなったという 伝説があります。 |
ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ Nadir Divanbegi Medressa
| 1622年にナディール・ディヴァンベギによって建てられました。 イスラム教では偶像礼拝を禁じられていますが、正面には鹿、不死鳥と人の顔のモザイク風の絵があります。 当初はキャラバンサライ(隊商宿)として建てられましたが、建築現場を見に来たハーンは これをメドレセ(神学校)と思い込み、敬虔な信仰心とメドレセの素晴らしさを賞賛しました。 あまりにも褒められ、どうすることもできずにキャラバンサライからメドレセに変更したと 言われています。 現在はこのメドレセの中におみやげ屋があり、夜は民族舞踏ショーも開かれています。 |
チャル・ミナール Char Minar
| チャル・ミナールとは、タジク語で「4本のミナレット」という意味。 1807年、トゥルクメニスタンの商人によって建てられました。 かつては神学校もモスクもありましたが、今は入口のみが残っています。 このトゥルクメン人がインドに修行に行った際、インド建築を非常に気に入り、 インド風の建物を建てました。 ミナレットは4本それぞれ異なる模様が施されています。 |
カラーン・モスク Kalon Mosque
| タジク語で「大きいモスク」という意味のこのモスクは、 一度に12000人が礼拝できるモスクです。 795年にアラブ人によって建てられましたが、現在はほとんどが修復されています。 280本の柱と88つの小さいドームが特徴です。 ソ連時代は倉庫となっていましたが、独立後に再び礼拝する場として再開しました。 カラーン・ミナレットとつながっていて、正面に青いドームと回廊に囲まれた中庭があります。 5つの建築からなるポイカロン建築群の一つです。 |
カラーン・ミナレット Kalon Minaret
| 1127年にカラーン・モスクの付属としてアルスラン・ハーンによって建てられたミナレット。 高さ47.8m、土台部分は16m、全てが焼きレンガで造られ、105段の螺旋階段のみが木造です。 大地震の際にも崩壊せず、ブハラで最も高い建物で、街中のどこからでも見えるブハラの代表的な建造物です。 カラーン・モスクへ入り、左へ進むとミナレットの入口があります。 ミナレットは以前は旅行者へ開放されていませんでしたが、今は有料で登ることが可能です。 5つの建築からなるポイカロン建築群の一つです。 |
ミル・アラブ・メドレセ Mir-i-Arab Medressa
| カラーン・モスクの正面にあり、両脇に青いドームが特徴的です。 1563年に建てられ、青と白のモザイクタイルに描かれた文様は、末期ティムール様式の装飾です。 今も神学校として約100人の学生が勉強しています。 イスラム法、コーラン、アラビア語などを勉強し、卒業後はイスラム教の教師になります。 さらに勉強を望む学生はタシケントにあるタシケントイスラム大学へ進学します。 カラーン・ミナレットへ登る途中の場所から、ミルアラブ・メドレセがきれいに見えます。 5つの建築からなるポイカロン建築群の一つです。 |
アルク城 The Ark
| 2000年以上も前に遡りますが、このアルク城辺りが古代ブハラ発祥の地だと言われています。 紀元前5世紀に奴隷によって丘が造られ、その人工の丘の上に建てられました。 時が経つにつれて城壁などがどんどんと広がっていき、日干しレンガの城壁が9世紀から、焼きレンガのの城壁が18世紀から作られました。 かつての歴代ブハラ・ハーンの居城とされて、1920年にロシア赤軍に攻略され、滅亡しました。 建物の主の交替や敵からの破壊などによって、何度も建て直されましたが、18世紀に大きな改修がされています。 ロシア革命の際に80%が破壊され、20%が残っています。 |
バラハウズ・モスク Bolo-hauz Mosque
| レギスタン広場を挟んでアルク城の向かいにある、1712年に建てられたモスクです。 正面にある高さ12mの木柱は中央アジアで最も長く、ブハラでは珍しいアイヴァン建築様式で、天井も美しく装飾されています。 かつては毎週金曜日、アルク城からバラハウズ・モスクまで絨毯を敷き、礼拝へ向かっていました。 現在はブハラで一番有名な金曜のお祈りをする為のモスクで、金曜の礼拝時には大勢の人が祈りにやって来ます。 |
チャシュマ・アイユブ廟 Chashma-Ayub Mausoleum
| アイユブとは旧約聖書の預言者ヨブ、チャシュマとは泉を意味しています。 紀元前5世紀、水不足で苦しんでいたところ、預言者ヨブがブハラに来てここで杖を3回叩いたら、泉が湧き出て水が飲めるようになり生活が救われたと言われています。 泉には14世紀と16世紀にドームが次々と建て増しされ、とんがり帽子型の屋根と合わせて一風変わった概観です。 近くから見るよりも、サーマーニー公園に近い場所から少し離れて見ると建物の個性感がよくわかります。 今でもこの霊廟の中に泉があり、国内の巡礼者達がこの泉の水を飲んでいるそうです。 |
イスマイール・サーマーニ廟 Ismail Samani Mausoleum
| 中央アジア最古のイスラム建築で、9世紀に建築されました。 イランから来た王イスマイール・サーマーニは、自分の父親の為にこの霊廟を建て、その後子孫もこの霊廟に眠り、サーマーニ朝の王族の霊廟となりました。 しかし、ここに眠っているのは男性のみというのが特徴です。 壁面は日干しレンガで出来ています。 日干しレンガで創り上げられた細かな模様は、当時の建築家の技術とセンスが光ります。 |































































































